2020年6月5日金曜日

朝ドラを見ながらフト不安になること。

朝ドラのスピンオフが2週間続いた。

私はとても楽しませてもらったけれど、
世の中には、この時期に、この話の流れの中で
スピンオフを2週間流すのってどうよ的な記者の発言記事があったり。

まぁ、意見は人それぞれでよかったりと思うのだけれど、
その下のコメント欄で、やはり多数の人々に記者が叩かれていたりするのが
やっぱりネット時代って、すごいな、と思う。

まぁ改めて思えば、新聞だってテレビだって
それが公共機関っぽく言われていようが、
ある意味、それはそのメディアの自己主張の場であるわけで。

遥か過去には、きっと活動エネルギーを有した少数の郵便による投書でしかそれらは批判されなかったであろう。
しかも、多くの投書は、お互いに共有されることはなかった。

しかし、ネット社会になってからは、
批判側も情報を共有しあって、
大きなエネルギーになることが出来るようになった。

これはこれで、危ういところもあるけれど、
フィードバックという意味では、とても大切なことだと思うんだな。

いや、今日書きたいのはそんなことではなく。

例えとして、朝ドラや大河ドラマがわかりやすいのだけれど、
ドラマが史実と違うと、批評する専門家がいる。

それに対して、多くの視聴者は、
史実を基にしたフィクションドラマなのだから
面白ければ、いいんじゃないの?という視聴者が圧倒的多数を占める。

そりゃぁ制作側だって、面白くする楽しくするためには、
大きな脚色も許されるんじゃないの?フィクションなんだもん。
というかもしれない。

# いや、私もどちらかというとそちら派かもしれない。

けれど、、、である。ちょっと心配なのは、
結果として面白ければ、面白かったドラマであるほど
記憶に残る。深く残る。

であれば、何年も経つと、フィクションであったはずなのに
それを忘れて、史実と混同されてしまうであろう事実。

私も大河ドラマは、もう30年も見続けている。
それが私の日本の歴史好きに仕立ててくれたのは良いけれど、
ドラマの中の細かいエピソードが
史実なのか脚色なのかわからないまま記憶に残ってしまっている。

で、日本の歴史を語る時にそのエピソードを史実として語ったりしてないか?

そんな心配。

ま、もっとも、歴史なんてものは、そうやって出来てんだよ、
そもそも私の一庶民は、史実がどう記憶に残っていて、
どう語ろうが、別に大勢に影響がないんじゃないの?

とまで居直りましょうかね。

それはちょっとヤな感じだけれど。
そんな思いも頭をかすめる史実を基にしたフィクション物語であります。


P.S

そもそも聖徳太子も居なかった説が主流になりつつある現代。
ほんと歴史の希薄さを感じてしまうし、
私もその片棒を担いでいるのかもなー。

ふぅ。



AM 09:01:29