2025年9月29日月曜日

きのう何食べた?


いつもネットでレンタルしている私。

この映画のタイトルから、てっきり痴呆症ネタだと思ってレンタル。

私の母も最後の10年は痴呆で悩み、他の家庭や事例を垣間見たくて選んだなのに、、、

なんとゲイのカップルの物語だった。

# メチャクチャショック。(大笑)

で、テレビドラマの劇場版だったのね。

いやま、世の民放テレビに疎いとこういう狭間に落ちるのね。

けど、俳優陣がそれなりに有名人だし、

# そのギャップをたのしむべきだったりするんだろーな。

映画化されるぐらいに人気シリーズならば、、、と最後まで見切りましたよ。

# 私としては前代未聞ですが、、、途中から、再生速度を上げました。

役者さんたちのその変わり身にはアッパレですが
やはりゲイネタは苦手です。

原作は、マンガのようですが、こういうのが映画化されるんだなぁと
時代の変化をツクヅク感じます。

救われる点は、やはり調理シーン。
世の昭和の化石男たちも、自炊する気になるかな?

# すみません、あまり書くことないです。



P.S

しかし、、、ツラかった、、、な。

けど、、、西島秀俊ってサングラスかけるとほんとにトム・クルーズ感あったな。

そこは思わず感動(?)しました。(笑)






2025年9月27日土曜日

全員が偏差値60以上になれば、、、(笑)


SNSで流れてきて思わず笑ってしまった言葉

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日本国民全員が偏差値60以上になれば、この国はもっと変わると思う。

大切なのは義務教育段階での英才教育。

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イヤ確かに母集団の定義が書いてないから、まんざら間違いとは言いきれないのだろうけれど

文脈の流れからしたら、その母集団は日本国民全員っぽいから、、、

伝えたいことは雰囲気でわかるけれど、、、

なんだかイタいなぁ。
 
# 意味フな方、、、「統計」を勉強しましょう。



P.S

この手の間違いは、日常会話の中で知らない間に使っていたりして

それで言いたいことが伝えられて、終わってしまうパターンって

結構あるかもしれないな、私自身も。(笑)
 
他人のことは言えないかも、、、。






2025年9月25日木曜日

「教養」と「雑学」


フッと「教養」と「雑学」の違いはなんだっけ?と思いついたものの
いざ説明しようとしてもどうもスッキリうまくできない。

と、こういう時に思いつくのは、AIくんに聞いてみる。

すぐにいろいろ例を上げながら説明してくれて、
最後に“一言でまとめると”と題して

―――――

「雑学は知識のコレクション、教養は知識の消化」

雑学をたくさん知っていても、それを背景や意味まで考え、

自分の中で消化して生き方や判断にいかせるようになったとき、

それは「教養」になります。

―――――

なるほど、、、この文面は今後ちょっと使わせてもらおっと。

って、完全にAIくんから学んでいる爺である。

さらにこう続く、

―――――

希望があれば、「雑学を教養に変える方法」も紹介できます。興味ありますか?

―――――

“あります。”と応答したら、また即座にタラタラ出てくるのがすごいなぁ。

けど、それを読みながらつくづく思うのは、
つまらんネタでも一生懸命このブログを書いている作業が
教養を深める作業になっているかも、、、な。
 
そう期待して。



P.S

けど、自覚として、、、ちっとも教養は身に付いてません。




2025年9月23日火曜日

アイス・ロード

夏の暑い時期、寒い映画を観れば体感温度が下がるか?と選んだ一本。

確かに見ていて寒い風景は心地よかった。

しかし、タイトルやパッケージから察するに、危険な凍った道路を何か大切なモノを運ぶ映画と信じてたら、なに?人災との闘い?

結局は、自然との闘いというよりも、悪者が現れて、運搬の邪魔をする話だったのね、
という点にちょっとガッカリ。

なので、悪役が現れなければ、結構スルッと終われるミッションのはずが、妨害を受けてダラダラ2時間過ぎる映画でありました。

まぁ飽きることなく見られましたが、妙にイライラさせられました。

おススメ度、低。


P.S

人間、いつ死に接して命を落とすかわからないもんだよなぁ。

そのつもりも予兆もないのに突然死んでしまう人も少なくないであろうことをつくづく思い出しました。





2025年9月21日日曜日

自転しながら公転する

山本文緒 作

面白かった。

一応、主人公は、30歳過ぎた女性だろうか。

帯通り、恋愛、仕事、家族、、、いやいやそんな大きな分類ではなく、
結婚、相手選び、親の介護、職場でのトラブル、、、
いやもう盛りだくさん。

# 長編小説だからね。

そのすべてが、実に身近に感じられて、
彼女の思い、反応、行動、、、それらが実に誰もの等身大さを感じてしまう。

きっと読者はそれぞれに、「だよね」「わかるぅ」「いやいやちょっと、、、」
などとまるで自分のことのように感じてしまうだろう。

# イラっと感じるところもあるかも、、、ね。

しかし、どれからも逃げるわけにもいかず、、、
すべてに果敢に立ち向かうことができるものでもなく、、、

でも、決して、流されるわけでもなく、、、
主人公は、時を大きく過ごす。

「自転しながら公転する」とは上手にタイトルを付けたものです。

# まぁネタバレは避けて、、、

けど、それぞれは、軟着陸地点を見つけ、
物語は、収束に向かい、、、ハッピーエンドだよね。

私は、プロローグに見事に騙されました。
エピローグを読み始めた時に「ん?どーゆーこと?」の連発。

でも、実に納得が出来る上手な終わらせ方でした。

山本文緒、アッパレです。


P.S

最初、チマチマ読み始めたものの、
中間過ぎた辺りから止められなくなって
半分を半日で一気に読み終えた。

いやぁ、小説って本当に面白い。




2025年9月19日金曜日

電子工作入門以前

「電子工作以前」というタイトルにちょっと笑えた。

# すみません、未読です。

誰が対象なんだろう?
電子回路には興味があるけれど、何から勉強すればよいのかわからない人向けなんだろうな、と想像する。

もちろん小中学生が、この本を読んで電子回路に興味を持ってくれるようになればうれしい。
大人でも、興味の対象として電子回路があって、それを少しでもわかろうとするのであれば、それもまたうれしい。

けど、40年電子回路と向き合い、それで糧を得てきた私としては、ちょっとだけ複雑な思い。

私の場合は、きっと「電子ブロック」「電子ボード」のようなオモチャからの影響が大きい。

小学校3~4年の時にプラモデルが飽きてきて、そんなオモチャを手に入れた。
訳もわからず回路図通りに組み合わせると、ラジオが聞けた、アンプやインターホンが作れた。
スイッチをONにするとブザーがOFFになったりする回路は本当に不思議に思えた。

やがて、そのブロックを壊し、中の部品を取り出し、ハンダゴテで自作するようになった。
中から取り出した部品を部品屋に持って行って、その部品を買い求めて作るようになった。

そうやって、いろいろなモノを作り、回路原理を知り、作るものが拡がっていった。

しかし、最近は、そういったオモチャがない。
キットのようなパッケージは見かけるような気がするけれど、それもなかなかお金がかかりそう。

で、このような本が出現するのだろうな。
けれどちょっと残念なのは、文字を読んでの座学から始まる点だ。

文字で読んで、わかるかもしれないけれど、その後の実践に続くだろうか?そんな心配。
英語でも、教科書で勉強し始めるよりも、会話から始めた方が近道だろう、そんな思い。

この本が、今の世に必要な一冊であろうことは、とてもわかる。
ただ、読んで終わってしまったり、やっぱり電子回路って自分に合わない、なんてことにならないことを祈るばかりであります。


P.S

ちょっと調べてみたら、電子ブロックの類のオモチャは、いっぱいあるのですね。

# ちょっと高いけど。

むしろ、今風にアレンジされていて、面白そう。

問題は、親がそれを子供に買い与えるかどうか、
親がその後をうまくサポートできるかどうかにかかっているのかもしれません。

ただ、昔と違って、身近な電子機器の電子回路があまりにも遠い存在になってしまったことは事実。
素人が接するには、その中身が高度過ぎる世の中になってしまったことも現実にあれば、

逆に電子工作にそのつまらなさを実感することにならなければいいのだけれど、、、な。





2025年9月17日水曜日

京都人の密かな愉しみ Blue修行中

「京都人の密かな愉しみ」のいわゆるシーズン2であります。

# DVD5枚組

今回は(も?)京都で修業を積む5人の若者らを中心に物語(?)が進みます。

庭師、野菜作り、料理人、陶芸家、パンづくり、、、

それらに携わる若者達の悩みや成長を、京都に織り交ぜてドラマ化。

物語も楽しいし、四季に渡る京都の風物がまた嬉しい。

お料理コーナーもありますし。

そんな彼らは、最後には、皆それなりに自立し旅立ってゆく。

いや、面白かったです。

けど、何人かは東京へ、海外へ、、、

シーズン3は、全くちがう物語になってしまうなぁ、、、


P.S

って、シーズン3期待してますよ、NHKエンタープライズさん。





2025年9月15日月曜日

羊と鋼の森

宮下奈都 作。

ピアノの調律師を目指す若者の物語である。

ピアノの調律、という作業は知ってはいるけれど、
私自身がピアノを弾けるわけでもなく
そもそも調律ということを文字や言葉で表現できるものなのだろうか?

と、いつも本屋さんで横目に流していた一冊。

けれど、本屋大賞を取ってるもんな、、、と、一応トライしてみるかと読み始めた。

いやぁスラスラ読めてしまうのは、この作家の文体のせいか?感心してしまう。

高校生男子が体育館のピアノの調律に接し、一気に魅了されてしまう。
彼は、北海道から本州に渡り、調律師養成の専門学校に通い、
やがて、就職は故郷の楽器店を選び北海道に戻ってきた。

そして、先輩・上司に付き添い実際を学び、
挫折もしながらもやがて独りで客先に出向くようになる。

しかし、先輩たちの作業を見ながら、いつも自分の才能の無さを痛感するのだ。

調律自体は出来ている気がする。
でも先輩たちのように音を作るというその先へ進める気がしないのだ。

そんな彼の様々な出会い、出来事、かけられる言葉から、
少しずつ少しずつ成長してゆく姿が心地よい。

寡黙に努力し続けるということは、ある種「昭和的」と言われそうだけれど、
いや、とにかくやれることだけを頑張るしかないのだ。

やがて、技術もだんだん身に付いてきたのだろうか、
自信、というよりも、こうやりたいという思いが出てくる。

それが、彼の成長の証なのだろう。

決して華々しく成長する物語ではない。

けれど、日々の些細な出来事に翻弄されながらも、
ただ一生懸命頑張っているだけで人間は成長してゆける、
そんなことを感じさせてくれるお話である、

最後には、涙がチョチョぎれたりも。

いやぁ、読んで良かった一冊でありました。



P.S

仕事とは、自分の適性に合ったモノを探さなければいけないという最近の風潮。

そもそも自分の適性って、しっかりわかるものなの?

むしろ、何気に出会った仕事を好きになることの方が大切だと思うんだけどな。

すみません、ワタシも所詮、昭和の人間です。






2025年9月13日土曜日

手作りハンガー

私の母は手芸好きで、部屋は自作の作品でいっぱいである。

その中のひとつ、オシャレハンガー(?)

針金ハンガーに、薄いスチロール地を巻き付けて
リボンで装飾を施したもの。

このハンガー、セーターを干す時などには、
ハンガーの跡がセーターに付きにくくてグッドである。

あえて欠点を言えば、どうしても曲がりの部分が減ってしまうので、
掛けている状態で落ちやすいかも。

まぁ、こんなアイデア物もあります、とココにメモ。



P.S

あまりにも沢山あるので、、、

これは、燃えるもの?不燃物?
やはり、リボンをほどいて分別しました。

捨てる時に、、、ちょっと面倒かもです。

母よ、、、スマン。





2025年9月11日木曜日

坂道のアポロン

正直、高校生ネタは苦手なのだけれど、あへて挑戦。

でも、、、やっぱちょっと、、、苦手だな。

アポロンは、ギリシア神話の音楽の神からきているのだろう。

原作は、マンガで人気があったようだけれど、

ジャズを通して人とめぐり会わせていくというテーマに、
音のないマンガでどう表現されていたのかが気になるところ。

アニメ版から音が付け足されて、音楽ドラマとしても面白くなったのかも。

けど、やっぱ実写化の難しさをつくづく。

医師らしくない医師や
高校生らしくない高校生や、
やっぱ、そんなの見逃せやと言われそうな部分に引っかかってしまって。

もちろん、感動シーンは、それなりに感動できるのですが、、、

不自然な部分が多いところが残念です。

やっぱ高校生の青春物語の苦手さを克服できませんでした。



P.S

最後の瞬間のシーン、、、

鑑賞者は思いっきり軽く裏切られます。

ったくっ!、、、あなたもそう思うでしょ?

で、そのままサウンドオブミュージックのジャズで
クレジットに入っていってもいいんじゃない?

なんて。

けど、小田和正の声に、妙にホッとしたりした私。






2025年9月9日火曜日

ミケランジェロの作画風景

面白いマンガが流れてきたので、無断転載。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描くシーンであります。

天井フレスコ画ってどうやって描いていたんだろうな。

ルネサンス期の美術を勉強しながらも、イマイチ現実感が得られなかったけれど、
こうやってマンガにしてもらうと、視覚化できてちょっと嬉しい。

絵具にまみれながら、やっぱ命がけだったよね、きっと。

次は、だれかフィレンツェの洗礼堂のモザイク画を作ってるシーンのマンガを描いてくれないかなぁ。



P.S

無断転載、すみません。








2025年9月7日日曜日

母の喉仏

仏さまが坐禅を組んで拝んでいる姿に似ているという喉仏の遺骨。

# わかりますかね。
# わからない方は、他をググってくださいませ。

母の喉仏を記録の為にココにメモ。

んなもんブログに載せるなよ、なんて言わないで。



P.S

せっかくだから、お骨のキーホルダーでも作るかな。

母も父のお骨をビニール袋に持っていたようで。
やっぱ親の骨は気持ち悪くないのが不思議です。

# 私だけかな。





2025年9月5日金曜日

パーフェクト・ワールド

観終わって、まず最初に思うことは、

この物語に“パーフェクトワールド”って題名を付けるかぁ?である。

相当の深読みがいるんじゃない?と思ったら、これもクリント・イーストウッドの映画だったのね。

囚人が父親のいない子供を人質に連れての逃避行。

# その囚人役がなんとケビン・コスナーなんだから、
# やっぱ普通じゃないんだろうなとは想像がついたわけですが。

やがて彼らは父子のように、、、ま、やっぱりね。

それを追う警官役がクリント・イーストウッドだったり。

けれど、実はその囚人もかつては不遇な目にあった人生を送った人間であったのだ。

そして、最後の最後には、、、あまりにも哀しい結末でありました。

しかしなぁ、、、

運命とは如何なるものか、つくづく考えさせられてしまう。

そして“パーフェクト・ワールド”というものは、
永遠に手に入らないものをいうものかもしれない。



P.S

私は、子ども食堂で勉強を教えていたりもする。

そこでもやはりどうにも不遇な子どもに出会うこともある。

私は運命論者ではないけれど、どうにも逃げられなくなってしまう運命も確かにある気がする。

まだ彼らは、この世に生まれて10年前後しか経ってはいないけれど、
既にその身に付いた不運を巻き返すことが難しくなっている子もいる。

なんだろうなぁその運命って。

もう祈るしかないところに人間の不完全さ、ひ弱さをつくづく思う。





2025年9月3日水曜日

舟を編む (原作)

かつて映画で“舟を編む”を観た。

で、先日、NHKドラマバージョン(10回)を観た。

いや実に完成度の高いドラマでとても楽しめました。

と、ここまでくると

「原作読まなくていいの?」

という思いに囚われて、今回ブックオフで手に取りました。

# 中古本ですみません、三浦しをん殿へ

ところが原作を読みながら、もう映像的イメージがテレビドラマのまんまで読んでしまったので
読み進むスピードが速い速い、あっという間に読めてしまって。

# ネタバレは、まずいかなぁ。
# けど、今さらだもんね、許されるよね。

映画もテレビドラマも原作も、言葉というものの大切さに重きを置きながらも
視点を変えて、それぞれが実にうまく構成されていたと思います。

ただ、原作を読んでのいろいろな違いの中で一番大きなショックは、

松本先生、、、間に合わなかったんだぁ、、、。

# 原作を後に読んだ人間の感想ですね。

あと、原作では、西岡のエピソードが結構あるんですね。
それも意外と面白かった。

あと、アルバイトは原作では圧倒的にもっと多かったんですね。
何となくそれも納得です。

と、細かいことまで書き出したらキリがなさそうですのでやめますが、
やっぱ原作読んで良かったです。

観る順番がいろいろ議論されそうですが、
個人的には、映画→テレビドラマ→原作 の順番が正解だったな、と自分でも感じていたりして。

「舟を編む」、、、それぞれをしっかり楽しめました。

私のおススメになりました。



P.S

アニメ版もあるようで、、、どうしよう、、、。





2025年9月1日月曜日

酔生夢死

SNSで「酔生夢死」なる言葉が流れてきて、
そんな言葉もあったな、と思い出したわけで。

字面からのイメージでは、

「酔って生きて夢みて死す」

まぁこれが無為な人生と思うか幸せな人生と思うかは
人によって違ったりもするんだろうな。

ただ、一般的には、“酒に酔って夢見がちで無為な人生を終わる”と読むのだろうけれど、

あえて私はこう解釈する。

自分の好きなことに酔い、一生懸命生きて、成功を夢みて死す。

そう考えると、極めて目指すべき人生の送り方のような気がするんだな。

人生の中で酔えることに出会うことはある意味とても大切である。

# いや、見つけられない人の方が多いような気も。

そして、それに酔い、成功を夢みて目指すのだけれど、
その夢がきっと大きければ、そこに到達することはない。

自分が夢に到達しても、そこで見るのは次の夢だったりするからね。

そして、残念ながらその最後の夢には到達できないけれど、

その生き方って、、、ある意味良くないですか?

# 私なんか、憧れてしまいますが。

と、「酔生夢死」という言葉に、そんなひねくれた解釈もしてみました。



P.S

「酔」と「夢」を入れ替えて

「夢生酔死」とした方が

“夢に生きて、それに酔って死す”感が出ると思うんだけどな。

すみません、所詮、言語素人の考えることですわ。