2007年8月30日木曜日

キサラギ2

キサラギの第2弾のことではありません。
機会あって、劇場で2回目の鑑賞に至ったのです。

いやぁ、飽きもせずに、2回目見られましたよ。
やっぱり楽しかった。おもしろかった。

どちらかというと、2回目の方が、実に、、、泣けた。うん。
2回目の方が、笑った、声を出して。

ん~、絶対ネタバレ書けないもんなぁ、この映画。
ちょっと悔しい。


P.S

最近、劇場で同じ映画を何回も観ることは、あまりない。
もちろん、まだレンタルビデオがなかった頃は、リバイバルなんかは、よく見た。

サウンドミュージックだとか、2001年宇宙の旅だとか、アラビアのロレンスだとか、、、
まだまだあるから、こう思い出すと結構有るな。

仕方ないよね。映画って、映画館でしか見られなかったもん、昔は。

極めつけは、タイタニック。

実にコソッとオールナイトで観に行って、朝帰りしたら、娘に見つかった。

「お父さんだけズルイ!」ということになって、
その日のうちに、娘と母と3人でまた映画館に観に行ったのでありました。

しかし、、、タイタニックって上映時間3時間ですよ。

よく考えると、よく体力があったです。
でも、まぁ、それなりに当時は面白かったってことかしらん?




2007年8月28日火曜日

雑草

この時期、雑草が目にとまる。

自由気ままに成長しているようだけれど、
自分のことを雑草と呼ばれているなんて、想像もしていないんだろうな。

でも、せっかく逞しく育っても、
やがて、むしられちゃったり。

森林やジャングルに生れれば、幸せに生き延びられただろうか?

それはそれで生存競争も大変そうなんだ訳だけれど。
ちょっとだけ、自然の無常さを雑草に感じたり。


P.S

けれど、実際は、、、自分も雑草だったりするんだよね、きっと。




2007年8月26日日曜日

電気製品にも消費期限が必要か?

そりゃ消費期限が付けられたら楽だなぁ、設計の立場としては。

けど、そんなのは甘い!と一喝されそうなこの業界。
しかし、30年物の扇風機などで死者が出て、それがメーカーの責任と言われてしまえば、
設計者は、長寿設計などしたくなくなるよね。

私もその機器を使用してくれる間は、いい特性を持たそうと安全度の高い設計をする。
けれどそれは、往々にしてその製品の寿命を延ばすことにもつながることが多い。

いい特性が保証出来なくなる時期になると、いわゆる自滅システム起動が希望。
そうなると、過去によく噂されたソ○ータイマーみたいなものを入れたくなるよね。

保証書なんて1年なのに、保守契約なんてなかなか結んでくれないし。
そもそも世の中、すべてのものには、寿命があるんだ。宇宙さえも。

部品が壊れた時には、それは寿命も含めて何らかの原因があるわけで。
壊れた部分だけ直せば、完璧に直ったわけでもないだろうし、
メーカーに責任が戻ってくるなら、少なくとも故障時には、メーカーに戻して、
再出荷検査まで戻して欲しいよね。

と、設計者側の勝手な論理を書かせてもらったり。
うん。


P.S

そんなことを書くくせに、、、
自分の車が故障すれば、自分で何とかしてしまったりするのは、
自動車メーカーは、いやがるかなぁ?
ま、最近の「自己責任」ってヤツで処理でしょうか。

けれど、私の回りの電気製品なんかの古いこと古いこと。
だって、直しゃぁいくらでも何とかなるんだもん。
テレビもビデオもビデオカメラなんかも、、、。

ビデオカメラなんか、メカ部なんか結構アロンアルファのお世話になってたりして。
いつか火を噴くかなぁ。

ま、私の回りの電化製品は、自己責任で構いません。
っつーか、間違いなく自己責任にされるでしょう。
うん。




2007年8月24日金曜日

名古屋大学の授業 IN 河合塾(Ⅱ)

第二夜。タイトルは、

「日本語とはどんなコトバなんだろう」文学研究科 町田健氏

たまにテレビでもお見かけする先生。実に自由に話す。
河合塾でそんなこと言ってもいいの?などとハラハラする場面が冒頭しきり。
関係者達は、苦笑い。校舎長あたりは、ドキドキだったであろうな?

しかし、さすが話のうまさはベテランだ。
聴衆を飽きさせない。

文科系だからか?確かに昨日よりは、圧倒的に女子が多かった。
興味というものは、ま、そんなものなんだろうか?

# つくづく自分の雑食性を自覚。

しかし、今日は、テーマに関して書く。
日頃使っている日本語をはじめとするコトバの妙。
この解説が実に面白い。

確かに日頃使っている言葉だから、新発見は少なさそうにみえる。
けれど、それを学問としてみた時のその奥深さ。キリのなさそさ。
いやいや、言葉なるもの、人との伝達手段としての道具でしかないのだけれど、
その道具の存在と使う上には、お互いの限りない前提が必要だったりもする。

そこには、生れてからその時に至るまでの、
見たもの、聞いたもの、触ったものの経験・知識があって、
言葉は初めて成り立つのだ。

更に、言葉はその使う単語・使い方で話し手のステータスをも表現する結果となる。
確かに日頃、そこはかとなく思っていることではあるのだけれど、
それを学問として解説された時には、単なる納得から、目からウロコのような思いもした。

先生は言う。
だから、ロボットに自然な言葉を話させるというのは、とても難しいんです。
素直に納得だ。
そこに到達する為には、きっとこの言葉の学問も限りがないような気もする。


P.S

果てしない無限の宇宙の学問、先の見えなさそうな言葉の学問、
宇宙も言葉も学問の道は、無限であることをつくづく思った。

そして、それに果敢に挑んでいる人類。
私は、この2日間を通して思った。

あ~、なんて人間って、知的で性懲りもない生き物なんだろう、って。
でも、、、自分もそんな人類のひとりであることが、妙に誇りに思えたりもした。

# いやぁ~、ホントこの2日間、受講してよかったなぁ。
# きっと若者には感じにくいであろう感動を、私は得られた気がした。
# 受講料も払わず、授業をつまみ食いしてしまったようで、、、

# お詫びと感謝を。→ 河合塾殿




2007年8月23日木曜日

名古屋大学の授業 IN 河合塾(Ⅰ)

河合塾で名古屋大学の授業を受けよう!
そんな企画である。二夜連続である。

正直言って、この企画の趣旨は、正確には私は知らない。
そもそも予備校の河合塾で大学の授業をすることは、
メリットもデメリットもあろう。
結構、リスクのあるチャレンジな企画だな、と思った。

ただ、知名度のある先生方なので、
それなりに面白い話が聞けそうな予感がして足を運んだ。

さて、第一夜のタイトルは、

「ビッグバンと膨張宇宙」大学院理学研究科 杉山直氏

私は、「次元」とか「宇宙」の話が好きである。

興味を持ったのは、中学2年の時。
一冊の本に、はまった。
そのロジカルな思考過程と常識を逸脱した世界に想いを馳せるのが楽しかった。

けれど、そんな本を読みあさっても、あまり周囲には話を出来る相手がいなかった。
そもそも受験とも、いや、授業ともなんら関係もないし。

いやいや、そんな話で盛り上がること自体、周りから見れば不自然な人間に見えるであろう。
おおかた、そういうものに興味のある人間は、
そのテーマについて、あまりお互いに話をしないものなのかもしれない。

今回、思った。
予備校なんかで、そんなテーマで話をしても、学生はついて来れるのか?
そんなテーマに興味のある人間が、大きな教室を埋めるほどに居るのか?
質問タイムになった時に、誰か質問する若者はいるのか?
今回の企画参加には、そんな興味もあった。

さて、授業の内容についてである。
まぁ熱血教授が、まだ大学に入っていない若者への授業である。
教授の話への力の入れようがうれしい。

ただ、このテーマ、聞く側の人間の予備知識のレベルの差があまりにも広そうだ。
聞き手が話の内容にどこまでついていけているのか?
話としては難し過ぎないか? もう既に知っていることばかり過ぎないか?
いろいろ聞きながらも疑問と心配が頭をかすめた。

しかし、私には、1時間ちょっとというこの時間、とても短く感じられた。
それはきっと、話し手のうまさだろう。テーマが自分に合っていたせいもあるかもしれない。

さて、時間切れである。
資料を残しながらも質問タイムとなった。
質問する人間は居るのか?いざとなったらこのおじさんが手を挙げちゃうぞ!
しかし、そんな心配は、無駄に終わった。
次々に上がる質問の手。

もっとも、その質問を聞くに、やはり質問者の既成知識の差は相当ありそうだ。
けれど、教授は、うまく応えていく。さすがだ。

質問は止まらず、講演終了後も教授が個別に質問タイムを取るまでに至った。
列を成す若者達。(写真下)

そんな光景が、わたしはとても嬉しかった。



P.S

そうそうテーマに関することも書かなきゃね。
私も仕事上、国立天文台の先生を知っている。
天体望遠鏡のシステムの製作を手伝ったこともある。

けれど、その時に思ったことを正直に書くと、、、
宇宙の学問って、人類の最大の道楽なんじゃないの?

# なんて、直接先生には言えなかったけど。

今回の授業前もそんな想いが身に付いていた。
所詮、この学問は、人類の発展の役に立つのだろうか?
絶対に行けなさそうな銀河系の外の学問。
絶対に目で見えないビッグバン。
それに対する学問は、もはや人類の知的なお遊びに過ぎないのではないか?

正直言って、未だにそう思うこともある。
けれど、そもそも学問とは、遊びなんだ。
勉強とは、知的欲求の追及でしかないんだ。
食欲や睡眠欲や性欲とたいして変わらないんだ。
私は、そう思うし、そう信じている。

大学受験を目指して一見無機質としか思えないような勉強ばかりしている学生に
そんな想いが、届くといいな、、、

教室の後ろの方で講座を聞きながら、
人生の残りの方が少なくなったこのオジサンは、そんなことも思ったりもしていた。





2007年8月22日水曜日

コンビニの閉店セール

会社の近くのコンビニが閉店となった。
今日は、朝から、半額セール。

ちょっと夕方に顔を出してみた。
店内には、人は多いのだけれど、もう商品棚の上には、パラパラとしか物はない。

半額なのに、まだ残っているこの商品たちはなに?
素朴な疑問を噛み潰して。

お酒も半額と聞いて、2本買ってしまった。
給料日前じゃなきゃ、店内のお酒、買い占めたのにな。

なんて。


P.S

途中、信号があるけれど、会社から約2分。
何故か好きなお店だった。

開店から今日まで、私は利用続けた。
もっと近くにコンビニが出来ても、あえて私はこのコンビニに行った。

愛着ってなんだろう?相性ってなんだろう?

何か不思議な気分にとらわれている自分がここにいる。




2007年8月20日月曜日

雨上がりのハンバーガーショップの店頭にて

小さな女の子とお母さんがハンバーガーショップから出てきた。

小学校2年生くらいかな。

先ほどまで土砂降りだった雨も上がって、ちょっと涼しくなった。

小さな女の子は、店の前で傘をベルトで巻こうとしている。

もう傘は使わなくて済みそうだものね。

けれど、水を含んで膨らんだ傘は、ベルトが簡単に届かない。

彼女は、一生懸命手で巻き巻きしてベルトで留めようとするのだけれど、なかなか留められない。

何回も何回もやり直して、、、、

その間、お母さんは、じっと我が子の格闘を眺めている。

教えるでも手伝うでも急かすこともせず、、、

でも、その視線の暖かいこと。

我が子の成長を温かく見守っている瞬間だった。


P.S

やがて彼女は困難を乗り越えると

お母さんと手をつないで歩き始めた。

きっとあの子は、いい子に育つな、、、私は、そう確信していた。




2007年8月18日土曜日

オトコの最後の砦を崩された感?

お、お、おい、おい、ウソだろ?

「卵子だけから子、成功率3割」

もう、何もコメントをする気がない。

はい、そこのオトコのあなた!
もう人類の存続に貴方は不要なのですよ!

しかし、、、ほんとかよ?
やっぱ真性アマゾネスは、有り得たんだ。

やばいよ、オトコ諸君!



P.S

あのね、でもね、、、

オトコは、生殖のためだけに生きてんじゃぁねぇ~よ!っだ。

けっ。

# と、思うんだけど、、、。




2007年8月17日金曜日

パイナップラーに朗報

私は、パイナップルが好きである。
結構好きである。

自動販売機にパイナップルジュースを見かけると、
ついついボタンを押してしまう人間である。
何故か、、、と思うと、ちょっとトラウマもあるからである。

小さな頃、父が海外からパイナップルを買ってきた。(たぶんハワイであろう。)
初めて手に持った私は、そのグロテスクな姿に、その自然の雄大さを感じたものである。

けれど、さてそれを食べるに至って、その皮むきの大変さ。
手をベタベタにして、必死で皮をはぎ、芯を取り、確かにパインの美味しさはわかるけれども
その美味対作業の効率の悪さは、極めているような気がした。

従って、パイナップルを食べるチャンスは、缶詰かジュースとなる。
その結果、私としては自分で剥いて食べる気にならない高級食材の類に所属している。

スーパーでパイナップルを見かけても、誰が買っていくんだぁ?などといつも思う。
ところが先日、とある業界の方から、パイナップルを丸ごといただいた。
しかも4個も。

こんなんいらねぇ~よぉ~。と私がのたまうと、その方は、あるツールを出してくれた。
これが実に優れものなのである。(写真)

確かにあれよあれよと皮がむける。
正確に表現すれば、皮を避け、芯を残し、見事に美味しい実の部分だけが簡単に取り出せるのである。

確かにやってみると、実に簡単である。
まっすぐに掘れるのかな?なんて心配は不要。
逆にあの中心の固い芯がまっすぐ掘れるように導いてくれるのだ。

いやこの簡単さは、極めている。
このツールを使えば、私は、リンゴを食べるよりも、ミカンを食べるよりも、
はるかにパイナップルの方が簡単に食べられるような気がするのである。

まぁ、ご存知の方には、今更、、、と思われるかもしれないけれど、
いまだまだ知らぬパイナップラーの方には、お奨めであります。

一度お試しあれ。


P.S

4個のパイナップルですか?
毎日、1個づつ食べました。

パイナップルダイエット?などとも思えましたが、
この甘さ、果糖のことを思うと、、、ダイエットにはならぬであろうな。

でも、美味しかったです。感謝。





2007年8月15日水曜日

終戦の日

あえてウィキペディアから思いっきり引用してしまう。

---- 以下、部分引用 ----

天皇が御前会議での聖断によってポツダム宣言の受諾を決定し中立国を通して連合国に通告したのが8月10日、

ポツダム宣言受諾が確定し受諾の詔勅が発せられたのは8月14日、

軍隊への停戦命令が出されたのは8月16日、

日本政府が降伏文書に調印したのは9月2日、

ソ連との戦闘終結は9月4日であり、
その後も降伏命令の届かなかった部隊・兵士や、邦人保護のための自衛にあたった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。

---- 引用終わり ----

ということで、実に8月15日は、単に玉音放送が流れた日だったそうである。

けれど、そのこと自体が、日本人の一般庶民にとっては、ひどく象徴的なことであれば、
終戦記念日という記念日を8月15日に決めても、特に問題はなかろう。

問題は、、、そんなことを当日まったく忘れて呆けていた自分にあるのであった。

前の日には、憶えていたんですけど、、、。


P.S

結果、今日のコメントは、言い訳がましい内容に取られても何も言い返せません。

陳謝。




2007年8月14日火曜日

オーシャンズ13

やっぱ、、、
イマイチついていけなかったな。
とりあえずは、楽しめましたが。

# 前回の感想もボロボロだったし。

やはりこの映画、アメリカ圏ネイティブ人向けに作られている映画なのだ。
そのセンス、その笑いのネタ、そのギャグ、、、
きっと米国に住んでいる人間にしかウけないことを実感である。

そもそも今、米国で流行っているであろうテレビ番組なんてわからないし。
そんなネタ持ち出されたって、こっちの日本人は、想像を働かせるしかないじゃんさ。
だから、いろいろ無理な部分も多いわさ。

それにしてもココまで話、というか、作業をデカクすんない。
現実味も何もありゃしない。

というわけで、きっとこの映画は、米国人の米国人による米国人のための映画なのさっ。

まぁ、とりあえずは、楽しめる映画なんだけどね。
そこんところに目をつむれば。


P.S

そもそも、オーシャンズ11さえも、名前言えないし。
ん?オーシャンズ11っていうんだから、合計は、12人なの?

# それさえも確認できていない。

13になったからと言って、誰が減って、その分誰が増えているのかもはっきり言えない私。

なぁ~んも詳細事項を気にすることなく、
さらぁ~っと見流して楽しんでいていいのかなぁ、と鑑賞後反省。

うんにゃ、それも米国的なんだぁ~、ってことで許してもらえる?
あは。

# 最近、コメントのガラが悪くなってきたし、内容も落ち気味、、、だな。(反省)




2007年8月12日日曜日

大きな会社に入るより、、、


とある雑誌の広告より、

  大きな会社に入るより、
   会社を大きくするほうが面白い!

  同感である。



P.S

が、、、

入った会社はなかなか大きくならず、危機の予感も。

今更、大きな会社にも入れず、
新たに小さな会社を作るハメになったり、、、?

人生70年?80年?

足りねー。




2007年8月11日土曜日

トランスフォーマー

あえて言いのけてしまう。

贅沢な映画です。

何が贅沢かって言うと、
通常、この手のものはアニメなわけで、
それを実写版で蘇らせてしまった
その財力とパワーを思うに、、、
とても大人の贅沢感を感じるに至ったわけですね。

まぁ、ストーリー的には、傑作とはいえないものの、
その派手々々しさ、騒々しさ、は、スピード感と共に体感できるでしょう。

写真は、前売券についていたボールペン。
実に滑らかにトランスフォームして、うれしい一品である。

このペン欲しさに前売券を買いました。
gifにしてでも動きを紹介したいところであるが、面倒で。

# 根性なしでスミマセン。


P.S

しかし、、、変身する時、絶対パーツが増えているよなっ。
ちょっと、ヅルくねっ?
って、誰もが思うと思う。
ヤバっ、ネタバレそうだ。

しかし、、、今日のコメントは内容が薄いな。
ま、そんな映画なんです。
ヤバっ、ネタバレそうだ。

では。



2007年8月9日木曜日

ああ勘違い、きっと勘違い。恥ずかしい。

もうすぐ50だというのに
今日は、ジェットコースターのフォトシステムのカメラの取り付け作業。

他にもっと社員にゃ、若者がいるでしょ。
でも、、、怖いんだってさ、高いところが。

あのね、オラだって、高所恐怖症なわけ。
条件は同じわけ。
しかも、最近体重多いし、運動不足だし。

そもそも電柱をU字安全帯をつけて上がっていくわけね。
だいたい8メートルくらい。

ふと思うに、水深8mを素潜りしようとすると結構大変なわけ。
とにかく体が浮いて水面に戻される力が働く。
だから、力を抜けば、水面に戻されるわけ。

電柱もある意味同じわけ。
登ると、地上へ引き戻そうとする力が働くから、
力を抜いて、手を離せば、自然に地上に戻される力が働くわけね。

水中の場合は、息が苦しくて。
地上の場合は、息は苦しくないけれど、自然の力で地上に戻された時には、
ちょっと痛いわけ。かなり、痛いわけ。

話が逸れた。

何回も登るのヤだから、一回で終わらせようと、慎重に用意して、登頂。
「あじゃぁ~~~~~!」カメラのネジ落っことした。
で、地上に戻った。

2回目、登頂。無事、作業終了。

地上に戻ったら、遠隔でイマイチピントが合わないと言われて、
あ~、確かにマクロになっていたな。

3回も登ったワイ。1日に。
ヘロヘロ、クタクタ、汗ダクダク。

筋トレと違って、命がけで、ヘンな部分の筋肉ばかり使うので、
数日後、悲惨な痛みに襲われるんだなぁ、たぶん。
ふぅ。

しかし、、、思うわけ。
オラだって、高所恐怖症ダベさ。
けど、仕事ダベさ。

怖いのを乗り切るためには、いつも思うのさ。
ココは、高くないってばさ。地上1mだってばさ。
そう思って、自分の目線より上しか見ないでのぼり、作業する。

人生もそうなんだ。
常に未来だけ見てりゃいいのさ。

そんな哲学が一瞬頭の中を通り過ぎた。
ふぅ。


P.S

今日も営業中の遊園地。

電柱に登って、カメラの交換作業をしているのだから、まったく映っていないのに、
コースターに乗っている青年男女は、カメラに向かって手を振る、ピースをする。
みんなが手を振るものの、カメラには映っていないわけでしょ。

だから、私は、思ったわけ。
オラにみんな手ぇ振ってんだぁ。
思わず、手を振り返す私。思わずピースで返す私。

車両からは、妙に受けた気がしたのだけれど、、、。
後で、他の社員達に言われた。

みんなカメラが動いていると思って、カメラに向かって手を振ってたんですよ。
ですから、きっと、みんなは、、、
電柱に登ったヘルメット姿のお調子者オヤジが
みんなに高いところからただ手を振ってるように見えただけですよ。

......。

オレって、ただのアホじゃん。

もう、登らん。絶対、登らん。




2007年8月8日水曜日

趣味:映画鑑賞は恥ずかしい?

先日、とあるラジオ番組の中で
履歴書の趣味の欄に「映画鑑賞」とか「音楽鑑賞」と書くのは、
ちょっと恥ずかしいんじゃないか?

映画だって、音楽だって、もう回りにあふれていて、
それを鑑賞していることが趣味と言うには、あまりにも普通過ぎないか?

そんな言葉が耳に入った。
正直言うと、私もそう思うところがある。

けれど、私は、断言できる。
「例えば、映画鑑賞は、私にとっては趣味である。」

あえて、ちょっといやらしく表現すると
私は、感想文を書くのが好きである。趣味なのである。

# 信じられん!って言われるかもね。あは。

けど、感想文書きたさに
映画を観るのである。お芝居を観るのである。本を読むのである。

# はいはい、どーせ私は変人です。

映画でもお芝居でも本でも、
観終わって、読み終わって、ただ、おもしろかったー、
で終わっては余りにももったいないし、そもそも製作者に失礼でしょ!

何が面白かったか、何に感動したか、何がイマイチ自分に合わなかったか、、、
そんなことに後でしみじみと想いを馳せることが好きなのである。

もちろんそれを文章にするのが好きである。
何らかの形でアウトプットして初めて意味がある。自分自身の存在がある。
そもそも感想なんて、ものに書いて残してナンボである。
そう思ったりもする。

このブログにも「映画」のカテゴリーを用意した。
けれど、いつもネタバレを書くまいとすると、極めて書きたいことが限定される。
書きたいことが書けなくて、イライラする時もある。

でも、映画の楽しさを少しでも感じてもらいたいな。
そう思って、映画を観て、簡単なコメントを書いて、、、
で、そこまでやってるんだから、ボクは断言するのです。

「映画鑑賞は、私の趣味です。」

文句、あっかー!
へへ。



P.S

よく、映画鑑賞はDVDで観てます。という人も多いでしょう。
確かにお金の事を思えば、DVDの方が安い。1000円ぐらい安いかな。

私の映画館での映画鑑賞をお金がもったいないんじゃない?
と言ってくれる人もいますけれど、
でもね、映画は映画館で観なけりゃ、製作者に申し訳ないでしょ。
映画館に申し訳ないでしょ。映画業界の関係者に申し訳ないでしょ。
そんな事を思ったりもする。

せめて、ボクぐらいの映画ファンは、やっぱり劇場で見ないとね。
だって、あのスクリーン、あの大音響、、、
1000円の価値はあると思うんだけどな。
そう信じて。

一回、飲みに行くのを辞めれば、3本ぐらいは観られるし。
ま、そんな口上を理解してもらえるかどうかわからないけれど、
いいんです。私は、映画鑑賞が趣味なんですから。

文句、あっかー!
へへ。




2007年8月7日火曜日

キサラギ

いやぁ、実に楽しい映画だ。
このブログに私のよく行っている映画生活のブログパーツをつけたものの
ついつい劇場ランキングが目に留まってしまう。
で、このキサラギの上位にとどまっている期間の長さ。
映画ファンとしてが、観ないわけには行かないでしょ。
ということで、ちょっとレイトショーで。
いやぁ、楽しかった。

テーマは正直言って、実にバカバカしぃ。
けれど、脚本が実に良く出来てる。

何もお金をかけなくてもこんなに楽しい映画が出来るのだ。
笑いもある、ストーリーは完璧だ。涙もある。

クセのある役者達も、実にそのクセを巧みに演じきっている。
むしろこれは、芝居向きかもしれないけれど、
きっと映画にした方が、目にとまる人口が圧倒的に多いんだろうな。

まぁ、1000円台のチケットでこれだけ楽しめれば、
オラは、オッケーだべさ!

# 今日は、何だかベタ褒めだな。

ネタバレは書けないけど、、、
わたし的には、ちょっとお奨めかも。
うん。


P.S
左に貼り付けた映画生活のブログパーツ。
劇場映画ランキングが貼り付けてあります。

アクセスする度に変わってしまうかもしれないけれど、
今日の時点では、
1位 夕凪の街 桜の国
2位 キサラギ
3位 ダイ・ハード4.0
この順位、実に納得出来たりして。

夕凪の街とキサラギを比べれば、
その内容から言って、キサラギを夕凪の上位にするわけにはいかないでしょ。

けれど、あの面白かったダイ・ハードよりもこの2作が上位にあるのも
また、すごく納得できる。

うん、日本人にとって、やはりハリウッドの派手な映画よりも
こういう日本の映画の方が好ましいんだ。

最近、すごい映画が目白押しで、私もその観る優先順位に困ってしまう。
けれど、上位にいっぱい日本映画が含まれているのがうれしい。

頑張れ!日本映画。





2007年8月6日月曜日

夕凪の街 桜の国 (コミック版)


ぜんたい
この街の人は
不自然だ

 誰もあの事を言わない
 いまだにわけが わからないのだ

  わかっているのは「死ねばいい」と
  誰かに思われたということ
  思われたのに生き延びているということ

 そしていちばん怖いのは
 あれ以来
 本当にそう思われても仕方のない
 人間に自分がなってしまったことに
 自分で時々気づいてしまうことだ

           夕凪の街 桜の国  こうの史代著より

今年も8月6日が来た。
言葉の感触があまりにも痛い、熱い。


P.S

もうひとつ書き留めておこう。
終戦後、10年経って、皆実(みなみ)は死に逝く時に、
薄れゆく意識の中で思うのである。

--------

十年経ったけど
 原爆を落とした人はわたしを見て
 「やった!またひとり殺せた」
 とちゃんと思うてくれとる?
 
  ひどいなあ
  てっきりわたしは
  死なずにすんだ人かと思ったのに
 
 ああ 風・・・・・
 夕凪がおわったんかねえ



2007年8月4日土曜日

夕凪の街 桜の国

# あえてネタバレは避けたいけれど、
# 少々ネタバレが含まれるかもしれない。
# 許してください。

この映画は、終戦の13年後から始まる。
冒頭のシーンに昭和33年とテロップが出る。

「えっ?」まず私は、驚いた。
この年、既に私は生れている。
戦争映画なのに、私が既にこの世に生れている頃の話なの?
てっきり自分が戦後生まれと確信していた私は、冒頭からちょっと驚かされた。

この映画、貴重である。
戦争映画であれば、暗いだ、こんな映画は見たくないだ、と言う方もきっと居よう。
けれど、これは、日本にしか作れない映画なのだ。

昨年、アメリカ人の監督が硫黄島の映画を作った。
表現がとても直接的だった。
悲惨なシーンも多かった。

それはそれで確かに反戦映画にもなろう。
ある種、分かり易い反戦映画であろう。

けれど、この映画は違う。
日本人にとっては、分かり易い反戦映画であろうことは間違いはない。

けれど、悲惨な戦闘シーンなどは、決して出てこない。
それよりも核がもたらすその後を知らしめてくれるのだ。

あえてネタバレは避けよう。
けれど、今まで気付きもしなかったことも考えさせてくれる映画となった。
世界にどこまで通じる映画かどうかは自信がない。

日本人が自ら「美しい日本」を求めようとする気持ちも私はよくわかる。
けれど、こういった映画を作って、世界に発信し続けることも
日本の大切な役目であろう。
そんな思いを持った。

あえて正直な思いを言わせてもらえば、
反戦映画であろうけれど、決して押付けがましい終わり方でなかったのが
私は、とても良かったと思えた。


P.S

あえて、ネタバレを少し書く。

彼女はつぶやく「教えてください。うちは、この世におってもええんかね?」

原爆は、落ちたものではない。落とされたものなのだ。
そして、落とした側は、人を殺すために落としたのだ。

見方を変えれば、確かに原爆によって、終戦を早めた歴史的な事実はあるかもしれない。
けれど、終戦を早めるためというには、あまりにもその影響力は大きく、
そして、長すぎるのだ。

終戦後、何十年も経っても、まだ被爆による死者が出る事実。
そんな時に、原爆を落とした側は、未だにその成果を喜んでいるだろうか?

そして、被爆された人間は、自らの幸せも求められない現実にも落ち込んでゆく。
未来を見通せなかった過去の人間達の無責任さはあまりにもひどい。

が、それは決して過去の人間達だけではないこの世の状況が、
日本人にとっては、あまりにも哀しく感じられるのもまた確かなことであろう。





2007年8月3日金曜日

POMPMAN

無料自動空気入れである。

某パチンコ店の店頭で発見。
いやぁ、私なんかにゃ、実にうれしい。

# もう、パチンコやらなくなっちゃったけれど、使ってもいいのかな?

助かります。

しかし、昔は、よく自転車屋さんの店頭に空気入れが置いてあって、よく使ったものだ。
まったく見ず知らずのお店でも通りがかりに

「ちょっと空気入れ貸してくださいねぇ~。」
「あいよっ。」

ってなもんでした。

ところが知らないうちにそういうのがどんどん減ってきちゃって
なんでもかんでも有料化されてきてしまって。

また最近「ご自由にお使いください。」っていう自転車屋さんも見かけたりするのだけれど、
なんだか無機質な世の中の移り変わりを実感する空気入れだったりする。


P.S

けど、、、このPOMPMAN。

ちょっとつづりが気になるんですけど、、、。
固有名詞だから、いいんだよなっ、きっと。

うん。




2007年8月2日木曜日

脳内メーカー

私の人生は、、、

あまりにも辛そうである。

左の結果は、

私の実名でやった結果。

脳内メーカーは、こちら


 

 

 

P.S

も~、いやっ!