2007年8月24日金曜日

名古屋大学の授業 IN 河合塾(Ⅱ)

第二夜。タイトルは、

「日本語とはどんなコトバなんだろう」文学研究科 町田健氏

たまにテレビでもお見かけする先生。実に自由に話す。
河合塾でそんなこと言ってもいいの?などとハラハラする場面が冒頭しきり。
関係者達は、苦笑い。校舎長あたりは、ドキドキだったであろうな?

しかし、さすが話のうまさはベテランだ。
聴衆を飽きさせない。

文科系だからか?確かに昨日よりは、圧倒的に女子が多かった。
興味というものは、ま、そんなものなんだろうか?

# つくづく自分の雑食性を自覚。

しかし、今日は、テーマに関して書く。
日頃使っている日本語をはじめとするコトバの妙。
この解説が実に面白い。

確かに日頃使っている言葉だから、新発見は少なさそうにみえる。
けれど、それを学問としてみた時のその奥深さ。キリのなさそさ。
いやいや、言葉なるもの、人との伝達手段としての道具でしかないのだけれど、
その道具の存在と使う上には、お互いの限りない前提が必要だったりもする。

そこには、生れてからその時に至るまでの、
見たもの、聞いたもの、触ったものの経験・知識があって、
言葉は初めて成り立つのだ。

更に、言葉はその使う単語・使い方で話し手のステータスをも表現する結果となる。
確かに日頃、そこはかとなく思っていることではあるのだけれど、
それを学問として解説された時には、単なる納得から、目からウロコのような思いもした。

先生は言う。
だから、ロボットに自然な言葉を話させるというのは、とても難しいんです。
素直に納得だ。
そこに到達する為には、きっとこの言葉の学問も限りがないような気もする。


P.S

果てしない無限の宇宙の学問、先の見えなさそうな言葉の学問、
宇宙も言葉も学問の道は、無限であることをつくづく思った。

そして、それに果敢に挑んでいる人類。
私は、この2日間を通して思った。

あ~、なんて人間って、知的で性懲りもない生き物なんだろう、って。
でも、、、自分もそんな人類のひとりであることが、妙に誇りに思えたりもした。

# いやぁ~、ホントこの2日間、受講してよかったなぁ。
# きっと若者には感じにくいであろう感動を、私は得られた気がした。
# 受講料も払わず、授業をつまみ食いしてしまったようで、、、

# お詫びと感謝を。→ 河合塾殿