2007年8月4日土曜日

夕凪の街 桜の国

# あえてネタバレは避けたいけれど、
# 少々ネタバレが含まれるかもしれない。
# 許してください。

この映画は、終戦の13年後から始まる。
冒頭のシーンに昭和33年とテロップが出る。

「えっ?」まず私は、驚いた。
この年、既に私は生れている。
戦争映画なのに、私が既にこの世に生れている頃の話なの?
てっきり自分が戦後生まれと確信していた私は、冒頭からちょっと驚かされた。

この映画、貴重である。
戦争映画であれば、暗いだ、こんな映画は見たくないだ、と言う方もきっと居よう。
けれど、これは、日本にしか作れない映画なのだ。

昨年、アメリカ人の監督が硫黄島の映画を作った。
表現がとても直接的だった。
悲惨なシーンも多かった。

それはそれで確かに反戦映画にもなろう。
ある種、分かり易い反戦映画であろう。

けれど、この映画は違う。
日本人にとっては、分かり易い反戦映画であろうことは間違いはない。

けれど、悲惨な戦闘シーンなどは、決して出てこない。
それよりも核がもたらすその後を知らしめてくれるのだ。

あえてネタバレは避けよう。
けれど、今まで気付きもしなかったことも考えさせてくれる映画となった。
世界にどこまで通じる映画かどうかは自信がない。

日本人が自ら「美しい日本」を求めようとする気持ちも私はよくわかる。
けれど、こういった映画を作って、世界に発信し続けることも
日本の大切な役目であろう。
そんな思いを持った。

あえて正直な思いを言わせてもらえば、
反戦映画であろうけれど、決して押付けがましい終わり方でなかったのが
私は、とても良かったと思えた。


P.S

あえて、ネタバレを少し書く。

彼女はつぶやく「教えてください。うちは、この世におってもええんかね?」

原爆は、落ちたものではない。落とされたものなのだ。
そして、落とした側は、人を殺すために落としたのだ。

見方を変えれば、確かに原爆によって、終戦を早めた歴史的な事実はあるかもしれない。
けれど、終戦を早めるためというには、あまりにもその影響力は大きく、
そして、長すぎるのだ。

終戦後、何十年も経っても、まだ被爆による死者が出る事実。
そんな時に、原爆を落とした側は、未だにその成果を喜んでいるだろうか?

そして、被爆された人間は、自らの幸せも求められない現実にも落ち込んでゆく。
未来を見通せなかった過去の人間達の無責任さはあまりにもひどい。

が、それは決して過去の人間達だけではないこの世の状況が、
日本人にとっては、あまりにも哀しく感じられるのもまた確かなことであろう。