2007年12月26日水曜日

マリア

# 今日のコラムは、キリスト教の方々には、申し訳ないかも。

私は、キリスト教の信者でもなく、
どちらかというと小説として聖書を読んだ人間ですので、
何ともこの映画の感想は、客観的になってしまっているかもしれない。

原題は「THE NATIVITY STORY」
直訳すれば、「出生物語」とでもなろうけれど、
それじゃぁ、日本人には、無理でしょう。

物語は、そのまんまです。
イエスキリスト誕生までのお話です。

あえて主人公はどちらか?を問われれば、
マリアとみるかヨセフとみるか微妙な感じがしました。
実にここがこの映画の微妙なよく出来たところの感じがしたりして。

日本人は、マリアなる人名は、大方の人は知っているかもしれない。
けれど、そのダンナは?と聞かれて、ヨセフと応えられる人は、相当少ないはずだ。
要は、そのぐらいヨセフは、日本人にとっては端役なのである。

が、この映画は、そのヨセフの良さをありありと示してくれている。
私は、相当この映画に救われた感がある。

熱烈な聖書ファンではない私は、ヨセフのイメージは可哀想でならなかった。
極めて断片的な表現で言えば、
自分の婚約者、しかも14歳のマリアが突然妊娠してしまう。
まだ、自分は一度もエッチもしていないのに、である。

マリアの方は、事前に天使からの「受胎告知」があったものの

# それだって、相当驚いたはずだし、最初は、抵抗もあったはずだ。

マリアの妊娠を知ったヨセフの落ち込みようは、相当悲惨なはずだ。
聖書を読んでも、その葛藤は、読み取れるし、この映画にもその葛藤は出てくる。
周囲の人々もマリアに対する相当冷たい視線は、ある意味自然なことだ。

が、ヨセフは、夢に現われた神からのお告げを信じるに至る。
けど、不謹慎な私は思うのだ。もうヤケクソでも信じるしかないんじゃないの?って。
したがって今まで私の中では、ヨセフは、オトコとして大切なものを横取りされた
相当可哀想な象徴になってしまっていたのだ。

現に宗教画では、殆どがマリアに比べて遥かに年老いた人物像に描かれているのは、
やはり、ヨセフに対するマイナーイメージをルネッサンスの頃にもオトコは感じていたのだな、とも思ったりもするんだな。

けれど、ヨセフは、神のお告げを信じてマリアの為に一生懸命になる。
その愛情表現は、この映画では、実にうまく描かれていた。

「本来の聖書の教えはこうなんだろうな。」

この映画を観て、ヨセフの行いを見て、あらためて再確認できたのは、良かったと思う。
映像の時代考証は、正確だそうである。
もっともこの映画の聖書との忠実性は、よくわかりませんが。

映像の出来もなかなかいい。
私のイメージの中で冒頭マリアっぽくなかったマリア役も
最後にイエスを抱くシーンは、極めてマリアっぽく感じられる画がなかなか良かった。

クリスマス時期、若いカップルには、お奨めかも。

# 決して、出来ちゃった婚、ちゃう、授かり婚を肯定するものではありません。



P.S

けど、、、未だに私は思うことがある。

例え、神であろうとも、自分の婚約者に子供を宿らせるなんて、
私ことオトコにとってはあまりにもツライ。

ならば、その前に、エッチしちゃっておこう、子供を作っちゃおう。
そう思いたくもなる。更にその延長上で言えば、
「早い者勝ち」「強い者勝ち」「何でもやりたい時が、やる時」的な
思考が本能的に働くような気もしたりして。

そうなると、例えば、キリスト教国アメリカ的主義・思考に妙に納得出来ることも多かったりすると思いませんか?

# などと書くとヤバイかな。

そんな今、フト思い出す曲は、松任谷由美(荒井由美時代か?)の懐かしいフレーズ。

「欲しいものは欲しぃ~、と言った方が勝ちぃ♪」