2008年6月20日金曜日

カメラ小僧は、新聞がコワイ。

私は、新聞がコワイ。

したがって、あまり読まない。
というか、最近殆ど読まなくなった。

# ちょっと堅いことを書く。

例えば、私は、カメラ小僧だ。

# はいはい、カメラオヤジです。

例えば、おっ!と思って、今見ている瞬間を切り取ろうと思う時、
やはり、いい写真を撮ろうとする。いい構図で撮ろうとする。

また、例えば、人を撮影する時、
いい表情を撮ろうとするし、撮られる側だって、その瞬間を意識するであろう。

ある意味、当然のことだ。
もちろん、撮影する側は、何もわざと絵を作ろうとする気はない。

そもそも、カメラで撮影ごとき、その刹那的瞬間に、
そんな事実を曲げてまでして撮ろうなんて思わない。

けれど、、、その撮影の瞬間には、自分の何らかの思いが含まれてしまうのだ。

新聞だってそうだ。

モノを書く人間は、ただ事実を書くつもりでも、
書き方により、そこには、自分の思いが滲み込んでいる。

読む側は、単に事実取得の為に読んでも、
書く人間の思いも一緒に読み込まれてしまうのだ。

そして、それらは、新聞によって、結構大きく異なる。
多くの種類の新聞を読んで、それぞれを比較しながら
自分なりの事実が組み立てられれば、それもいいかもしれない。

けれど、残念ながら、私には、そんなゆとりがない。だから
1社だけの新聞を読んで、事実を知った気になるのが、
とてもコワイくなってしまったのだ。

ただ、不思議なのは、それでも日々の出来事が、私の頭の中に入ってくる。
流れているテレビ、たまたま目にとまってしまうネット記事。

別に世の中に大きく遅れている気がしないから不思議だ。
けれど、プレーンな記事は、どうしたら手に入れられるのだろう?



P.S

テレビなんかは、ほんとうにひどい。

以前テレビ局に足を運んでいた頃、その内部は、とても衝撃的だった。

もっとも、テレビとは、見せるための番組なんだから、
そんなものだ、と思っていればいいのだけれど、、、。