2024年6月29日土曜日

TITANIC SURVIVAL EXPERIENCE

あのタイタニックが沈む時を体験できるということで、ちょっと行ってきました VRCの
 
 “TITANIC SURVIVAL EXPERIENCE”

30分に一回沈没が繰り返され、そこに参加できます。

初めて行った時には、ちょうど救命ボートが出払ったところでもはや船上に残るしかなく。
同時に20人くらいの参加者がいましたが、何人かは既に救命ボートに乗っており、
遠くの海上から沈没のシーンを見ているのがわかります。

私はとりあえず生き残ろうと船尾に移動。
遠くの船首に残った人たちは、ワイワイ騒ぎながらあちこち動き回っているのが見えます。

やがてだんだん沈んでいくにつれて、後ろに人が集まってくる。
最後には、私の回りも人がいっぱい集まってきて、、、。

船尾に居た私は、もう水面に飲み込まれる、と思った時、
海面にドアが浮いているのが見つかって

# まるで映画そのものでした。

そのドアに飛び乗ろうとしましたが、やはりうまく乗れず水中に。

必死にあがいて海面に戻って、ドアのところまでたどり着き、
ドアにつかまりながら、すべてが沈む瞬間を見つめていました。

2回目の体験は、ボイラー室や室内をウロウロしてると、
やがて水面が下から上がってくるのを急いで上階に逃げたり。

もう途中で疲れてHOMEに戻りましたが、
まぁよく作ったものだなぁ、とマジ感心。

楽団の演奏が途切れたり、停電で暗闇になったり、
途中、船が二つに折れる状況も再現されていて、なかなかのものでした。

一回は、おススメかもしれませんが、、、



P.S

今日の夢が怖いっす。



2024年6月27日木曜日

アレオレ詐欺

“『アレオレ詐欺』って言葉はやらせたのオレなんだぜ?”

ネットにこんな一行が流れてきて

「アレオレ詐欺」ってなに?って調べてみたら

他人の成功を自分の成果にしてしまうことだそうだ。

だとすると、上記一行は実に笑える極めて優秀な構文であろう。

しかし、オトナなら一度くらいそういう人に出会ったことありそうですよね。
結構、他人が気がついても、自分じゃ気がつかなかったりするんじゃないか、とも。

だから詐欺、というよりも気がつかないうちに、人の行為・発言が自分のモノに入れ替わって思えてしまうんだろうな。

でも、人の成果を自分のものにしても、とてもバレやすそうで、
結果的に、陰でバカにされていそうな気がします。

なんて書いてて、自分も知らないうちにアレオレ詐欺やってたりして?

クワバラクワバラ。



P.S

なぜかジョー90を思い出しました。

ごめんな、ジョー90。





2024年6月25日火曜日

遠い空の向こうに

2000年に公開されたアメリカの実話ベースの映画。

スプートニク1号打ち上げに感化された少年たちが、ロケットの自作に燃え、
勉強を重ね、科学フェアで優勝し、奨学金を得て大学に進み、
主役のホーマーは、やがてNASAで働くことになる。

逆境と挫折、家族との葛藤を乗り越え、やがて成功を収めるというサクセスストーリーである。
中には、なかなかの名言もあり、感動映画であることには間違いない。

けれど、今日は、ちょっと違った見方の感想を書く。

この手の映画、感動映画であることは間違いない。(あえて繰り返しておく。)
けれど、やはり結果として成功した人間の物語である。

自分の目指すものを決め、ひたすらそれに邁進し、やがて、成功をゲットする。
しかし、それは、すべての人間にあてはめられるものだろうか?

世の中には、自分なりに頑張っている人間はいくらでもいる。
そして、その結果、成功を手にする者は、きっと極めて少ない。

もちろん、頑張っている経過を楽しんでいるのであれば、問題はない。
むしろ、そうあるべきなのかもしれない。

しかし、子供たちと接している我が身とすれば、ちょっと感じ方が違う。

進路指導の中で、ムリムリ目的を見つけ出され、それに向かってとにかく前に進めと駆り立てられる。
目的が親と子となれば、それはそのまま親子の悩みになる。
その辺りは、映画そのままだ。

そのドロドロの中で、映画の中の主人公は、頑張りつくして成功を手に入れた。
けれど、すべての子供たちが頑張れば、いつか必ず成功を手に入れられる、と思われては現実では困る。

だからこの手の映画を見ると私は困惑する。

この主人公のように頑張りつくせ、と見るのか、それとも
この物語は、成功者の伝記であって、極めて稀なパターン、だから映画になるのだよ、
と、ある種夢も希望もなくなるような把握をするのか当惑してしまうのである。

だから、青少年たちがこれを観て何を感じてどう思うか、、、
そんなことを考えると、この映画は青少年たちに勧められない気もして
私は複雑な思いにとらわれてしまうのである。

# ま、考え過ぎだよね。そう思いたいんだけどな。


P.S

懐かしい想い出を書く。

小学校の頃、私もやはりロケットに興味を持った子供のひとりである。
で、ロケットを作ってみようと思った。

# たぶん小学校4~5年の頃である。

花火を分解し、細いマジックペンのキャップに詰め、開口部を細くして、導火線を付け、
小さな発射台を作って試したことがある。

そもそも花火の分解自体が怖かった。
火を付けたらどうなるのか? 爆発するのか?
ドキドキしながらなにもかも想像できないまま、無謀にもキャップロケットは形になった。

そして、発射台に乗せ、導火線に火をつけた。

“シューッ!”と音を立てて、発射台から落ちた。
「飛んだ」というよりも、「落ちた」と表現した方が正しい。

「ふ~ん、やっぱこうなるんだな。」

キャップは、熱で変形し、そのままゴミ箱へ。

一生の想い出ができたけれど、
私のロケットに関する研究心は、そこで止まった。

私が小さい頃から凡人でだった証明でもあった。

全ては、ひとりぼっちでやったことではあったけれど、
脇で誰かが見ていて、次はガンバレと煽られたら、私はさらに頑張っただろうか?

それはそれで、ちょっとな、、、とも今は思ったりもするのであるが。

ちなみに私は、大学を卒業して、ロケットの打ち上げに関した仕事に従事した経験を持つ。
けれど、一生ロケットに付き合うのはヤだな、と転職を決意した。

ロケットは好きだけれど、相性が良くないような自覚を持っているジジイであります。





2024年6月23日日曜日

とんかつの自販機


いや初めてみたもので。

# 私は、とんかつ大好き人間で。

冷凍自販機ということなので
真空パックされたものが出てくるのでしょうか?

揚げたてを急速冷凍したものらしいけれど、
チンしただけで、美味しいトンカツが出来上がるのならちょっといいかも。

どのくらいカラッと仕上がるかに興味があります。




P.S

しかし、深夜に突然トンカツが食べたくなるような人には便利なのでしょうね。

けど、深夜にトンカツ、、、ちょっと私には、、、もう重いな。






2024年6月21日金曜日

VR世界にて

私は、小さい頃から3Dが好きで、
幸せにも3D関連機器の設計をしていたこともある。

そんな私に
「やっぱり3DやVRって流行らないね。」
と声をかけてくる人もいる。

まぁ他人はどう思っていようが構わないけれど、
私はどちらかというと、今もVRで夢中に遊んでいる人間である。

もっとも最近は、RecRoomで遊ぶことばかりであるけれども、
それにしても楽しいので。

-----

昨日のことである。
偶然、気の合う人と出会って、クエストで5時間も戦い続けた。

二人で協力して戦う。
一緒に走って、お互い助け合って、協力し合って、敵を倒す。
その阿吽の呼吸が合う人とのプレイは実に楽しい。

最期には、「今度会ったらまた声かけるね。」
そう言われて別れた。
 
で、何気にお相手のプロファイルを見たら、14歳の女の子だった。

-----

3年程前、とある女性とクエストを何回か一緒に戦ったことがある。

いつも子供たちを連れていて、落ち着いた話し方で
振る舞いも子供達に対する愛情が溢れてるんだな。
笑い声も素敵だ。

「前にも一緒に戦ったことあるわよね。」

そう話かけられてフレンドになった。
プロファイルを見たら71歳の女性だった。

圧倒的な強さで子供たちを守りながらプレイしている姿は、
もはや私の師匠となった。

が、最近なかなか会えないな、と思っていたら、
プロファイル欄で半年前に73歳になったばかりに彼女が亡くなったことを知った。

残念でならない。

-----

もう2年前のことになる。

「Yuki!Yuki!」とクエストやドッチボールではしゃぎまくってた時
突然、「ボク14だけど、いくつ?」とフト歳を尋ねられた。

ちょっと迷ったけれど、「64」って答えたら、途端に無口になっちゃった彼。
しばらくして口から出てきた言葉は「若く見えるよ。」

そりゃそうだろアバターなんだから。

-----

他人からなんと言われようが、
やはりVR世界での出来事も現実と同じくらい楽しい。

# いや、現実よりも楽しいよね。

まぁ、変に流行って妙な状態になるよりは、
VR好き者達だけの世界であって構わないと私は思う。

いつまで楽しめるかなぁ。
いつまでも楽しみたいなぁ。



P.S

自分のプロファイル欄に年齢を書いておこうか迷う。

歳をバラすとやっぱフレンドは減っちゃうかなぁ。
不義理で申し訳ないけれど、ちょっと迷う、大いに迷う。





2024年6月19日水曜日

キャビン


ったく、、、

この映画のジャンルは、なんなの?

ホラー、ミステリー、SF、更に、コメディーが加わってたりする。

まぁ確かに今までに見たこともないホラー映画で

# ホラーになり切れていないような気がするんだがな

なんなのこのメチャクチャ感、それがコメディーなの?

# いや、コメディーにもなり切れていないでしょ。

結局は、わからないところがいっぱいあるけれど、そんなことにこだわって鑑賞する映画ではないでしょう。

にしてもスゴイ映画だったな。
終わり方も、私は笑ってしまってすみません。

なんかなー、やっぱネタバレはダメでしょうから、なにも書けませんが、
ハチャメチャ映画ですが、そのハチャメチャ感が楽しめました。

それにしても、ちゃんとすべての著作権利は、クリアできているんでしょうか?

いえ、観た人だけと共有できることですが。



P.S

一般の人間が使うエレベーターがバケモノボックスに直接アクセスできてしまうって

それ絶対システム設計ミスでしょうがっ!

が、私は気になりました。

# って、気にするとこってそこかよっ。





2024年6月17日月曜日

広告カットアプリの広告に思う。

 
いやなに思考の散歩であります。

ブラウザ上の広告をカットするアプリの広告が流れてきて。

そのアプリは有料ではあるけれど、一度きりの支払いで今後ブラウザ上の広告がなくなるのであれば、それいいかも、と迷ったりするわけですが。

ただ、面白いなぁ、と思う。

自分の広告は表示されるものの、その会社のアプリが購入されてインストールされれば、それ以降は、自社も他社の広告も一切表示されなくなるわけで。

うちの製品が売れた後は、もうその広告は必要なくなるわけで、
その後は、他社の広告を自社の広告もろとも表示されなくなる、、、

なんかひどい会社だな、とも思ったりもして。(笑)

# なぜかフト蜘蛛の糸が頭をよぎる。(大笑)

でも、サイトによっては、広告収入で閲覧を無料にしているパターンもあれば、
大多数の端末がそんなアプリを載せたら、やがて有料サイトばかりになるんだろうか。

まぁその方向に進んだ方が、ネット上の内容は精錬されていくのかもしれないってか。
それはそれで、貧富と情報の質格差の拡がりが加速するってか。

そんな様々な青少年的思考が、私にインストールを躊躇させる。

けれど、民放のテレビドラマをCM飛ばしで観ている私も同類の所作なんだろうなぁ。


P.S

Wikipediaをよく利用している私は、
“寄付のお願い”広告が出てくると何気に寄付をしたりもする。

けど、寄付しても、消えないんだなぁ“寄付のお願い”が。

天下のWikipediaであれば、
寄付したらそのブラウザでは一定期間広告が出ないような仕様にできないの?

# 所詮、ユーザーはワガママである。



2024年6月15日土曜日

無人島のふたり

無人島のふたり
120日以上生きなくちゃ日記

作者は、山本文緒。

58歳ですい臓がんとわかり、
抗がん治療を始めてみるものの
その辛さと延命の短さから緩和ケアに切り替え、
その時から最期までの日記である。

死に向かう作家の経過日記であれば、読み物としてのかたちにはなっているけれど、
実際は、もっともっとひどく苦しく辛いものだったんだろうなぁとの思いを馳せる。

ひとは、十人いれば、十色の最後があると思う。

けれど、がん患者の最期の時期をこういったかたちで表してくれたことに、
なにかある種の勇気のようなものをもらえたことも確かである。

人は、誰もが必ず最期を迎える。

私の最期も彼女に負けないように迎えようと思えた。




P.S

もっともっと作品を生んで欲しかった。

心からご冥福をお祈りします。




2024年6月13日木曜日

わたしは、ダニエル・ブレイク

心臓病で医者は仕事を休めと言い、
役所では、働けるカラダなので失業給付金は出せないと言われ、、、

役所の対応にイラつきながらも、シングルマザーの貧困家庭と出会い、お互い助け合いながら、、、

最後はちょっと哀しい。

まぁお国の事情もあれば、制度の違いもあろう。
そういった制度を巧みに使いこなしていたりもする人間もいよう。

けれど、彼は威厳を失わず、何事にも一生懸命取り組み、真面目に生きているはずが、なかなかうまくいかない。

それを不器用と言ってしまいたくないけれど、きっと世の中にはそんな人はいっぱいいそうで
いろいろ考えさせられる物語であった。



P.S

あへて書いてしまう。

私も雇用保険をもらった経験がある。

通常、自己都合だと支給は請求後3カ月かかるが、
心臓病の理由で給付制限がかからなかった。

そんなシステムことは全く知らなかったけれど、
役所の担当者が教えてくれて、そんな計らいとなった。

だから、きっと私は運が良かったのだと思う。

けれど、確かに映画のように、月に2回の求職活動はしなければならなかったし、
それらが貴重な経験となったことも事実である。

世には、思わぬカタチで貧困に陥った家庭は、確かに存在する。
そんなのは“自己責任”と言ってのける人もいるだろうけれど、

少なくともその家庭の子供たちには、罪はないと思う。

だから、私は子供食堂で勉強を教えている。



2024年6月11日火曜日

Les (Petites bleues) japonaises


名古屋からの合唱団、教会は喜びの魔法に満たされて

小さな日本の青い少女たち

     
 2006年3月26日、メジエール教会での日曜礼拝にて私はその合唱団に出会った。

 普段は地元のコーラスが使うひな段に、プリーツスカートにセーラー襟の濃紺の制服に身をつつんだ少女達はまるで大きな扇のように整然と並んでいた。
およそ50人。キリスト教主義の学校のこの生徒達は名古屋から来たという。名古屋は日本の中心部にあたる都市で、神戸からも遠くないとか。彼女らは時々こうしてコンサートを目的にヨーロッパを訪れるそうだ。

 もちろん、私の知っている日本といえば、サムライ、カミカゼ、芸者、茶道、桜に大地震など、決まりきったイメージしか浮かばない。が、この時、私の目の前には音楽の奇跡が日本によってもたらされた。

 この声、少女達のうら若い声はしかし大聖堂をも満たすに足りる豊かさであった。天使達の合唱(があるとして)でさえ、このような勢いと正確さが持てるだろうか?
大人を正にうならせる程のこの子達に比べると、我が国の同じ年頃の子らは幼く感じられる。

 彼女らはまず、私達も知っている讃美歌を日本語で、そして我々の言葉で美しく斉唱した。教会に居合わせた人々全てに強い感動が訪れた。
そしてさらに素晴らしい時がこの後にひかえていた。

 春うららかな、やわらかい陽光にめぐまれた日曜の午後の終わり頃、我々は再び教会にて合唱用のひな段に並んだ彼女たちを目の前にした。一番年令の低い子らは後列最上段に、年かさの少女達は最前列に。腕はきちんとおろされ、指先にまで神経が行き届いた様子、両足はほんの少しだけ開かれて整然と立っていた。
オルガンはバリサ美奈。現在、この教会のオルガニストをつとめているが、かつてこの合唱団で歌っていた卒業生である。
彼女と少女たちは、見事にとけあった演奏を披露してくれた。

 コンサートの始めから終わりまで、一貫しておしゃべり、よそ見などが見られない。規律、に関しては明白に目にみえるのだ。視覚的にとらえられない規律でさえ、それがこの合唱団に存在することが容易に想像できる。
この日の朝のごとく、再び魔法が働いた。

 この声。
私を震撼させる美しい声。そしてその調和の中に、えもいわれぬ優美な日本の音階を堪能した。少女たちと指揮者の間には、なにか彼らにしかわからない符丁があるようだ。指揮者のほんの少しの手の動き、わずかな体の移動などで、彼女らは全てを理解し、正確に指揮者の望む演奏を創りあげていく。

 いったい「(アジア人の)つり上がった目」などと誰に言わせようか?
私が出会ったのは、3列にきちんと並んだ、くりくりした黒い瞳のぷっくりした可愛らしい女の子たちだった。

 演奏の質をここまでにするには、大変な集中力を伴った膨大な練習量と、指揮者へのゆるぎない従順さが背後にあるのだろう。
彼女らの祖父母は戦争を体験した。原爆が何かを知っている。天皇から無条件降伏を聞かされた。その人々の直系であるこの子らは、だからこんなに完璧な調和に至るまでの練習もこなせるのだろう。

 そして休憩。
静かにオルガンのそばの座席に着席した彼女らはまるで糸を通した真珠の連なりのようだった。

 この日の朝、礼拝で私達は彼女たちと一緒に賛美歌を歌った。それも日本語で。
私達のよく知っている賛美歌のいくつかが、日本語の発音で表記されていたのだった。
この日の夕方、日本語で日本の歌をいくつか聴いた。祭りのうた、農夫のうた、学童のためのうた、どれもたいへんな拍手をあびていた。
そして終わりに、フランス語で「Là-haut sur la montagne・・・」が響き渡った。

 鳴り止まない拍手の中、突然私は背が見える程の深々としたお辞儀を見た。
日本の慣習であろう、一列ずつ、少女たちは次々にお辞儀をしていった。この三つの青いお辞儀の波は、彼女らの祖母の年令にあたる私に、思わずその全ての頬に軽くキスをしたい、いとおしさを感じさせた。

 そして演奏会の後。
教会の外でこの小さな青い子たちは、活発に、にこにこしながらさんざめきあっていた。黒いタイツに包まれた足と、もう緊張しなくていい手が、ようやく自由に、しかし聡明に、解き放たれたように。

 ところで「古い山小屋 - Vieux Châlet 」、歌詞の3番は歌われなかった。
私は、これはきっと“次の機会のお楽しみに!”ということであろうと想像するのだが。
できるだけ早く、是非、戻ってきて歌って欲しい!



文:シモーヌ ピゲ
訳:バリサ 美奈



注/私が手に入れたVieux Châletの楽譜には2番までしか歌詞が載っていませんでした。1番歌詞では、「僕の大事なすてきな古い山小屋-」、2番では「山小屋が雪崩で壊れちゃった-」、もともとは2番までしかなかったそうですが、あらゆる人々からの、ハッピーエンドの歌にして欲しい、との要望に答えて、後年「僕の山小屋、建て直った-」という3番と4番歌詞が付け加えられたのだそうです。

注2/この文を書いてくださったシモーヌ・ピゲ夫人はメジエール教会員であり、ジョラ教区でオルガニストとして時々礼拝奉仕をされています。もともとは学校の先生ですが、宣教師のご主人について、20年間もアフリカのカメルーンにお住まいでした。その間3人のお子さんの学校教育をご自分でされたそうです。そのせいか文章には生徒たちの正直な感嘆と外国文化への興味と理解がよく表されています。






P.S

いつか、きっとググられてやってくるであろう人の為にココに無断転載。(謝)




2024年6月9日日曜日

庵野秀明展

庵野秀明展に行ってきた。

見どころのキャッチとしては

庵野秀明をつくったもの
庵野秀明がつくったもの
そして、これからつくるもの

だそうだ。

一応エヴァンゲリオンファンとしては、観る価値あろうとの判断だったけど、
一番の興味は、、、そう、いつも思うことがある。

庵野秀明氏は、私より2歳下で、いわゆる私たちは同世代の人間である。
小さな頃から同じマンガを見て、同じ特撮を見て、同じSFを見て育ったはずで。
なのに、彼と私はなぜにこんなにも違った人間になってしまったのだろう?

# ちょっとおこがましいけれど、素朴な疑問である。

それが確認できるかな?というのが鑑賞の大いなる目的であった。

さて会場に入ってみる。

# 音声ガイドも借りた。

最初のコーナーは、“庵野秀明をつくったもの”

いやもう懐かしいモノのオンパレードである。

模型やミニチュアやマンガ本に至るまで、
特にそれらが流行った年表なんかは、目で追うだけでホントに懐かしくなる。

# 撮影自体もかなりフリーだったので、
# ミニチュアなんか3Dスキャンしてやろうか迷ったりして。

ところが次の部屋に移って、愕然とした。

中学生の頃に描いたという油絵、並じゃない。
学生時代に友達と作ったという8mm映画、そこまでやるか?ふつー。
メカの精細な絵心、なんでこんなものが描ける?

そんな感想しか浮かんでこない。

正直言って、既に当時から異才を放っていたことが充分にわかる。
そして、その並外れた才能は、やがて、人の目に留まるようになるものである。
やがて、声がかかれば、そこで才能を発揮し、更に才能は開花してゆく。

ただ、つくづく思うのは、単なるマニアではなく、実力が備わったマニアだったことだ。

きっと変人に見られたであろうこともかなりあったと思う。
けれど、そこを突き抜けるほどの才能の持ち主でもあったのだ。

いやぁ、これからも彼が創るものは見逃せない。
私と同世代ということであれば、最期まで楽しませてくれることを期待して止まない。



P.S

今まで様々な美術展を観てきたけれど、
どれもその才能は他人事の気がしていた。

けれど同時期、同趣味の子供だったであろうに、、、

彼の非凡さを目にしながら、自分の凡人さをつくづく感じた展覧会でもあった。




2024年6月7日金曜日

千年女優

2001年作。監督は、今 敏。

ず~っと気になっていたアニメ。
やっと見る気になって鑑賞。

最初は、なんなの?SFなの?ギャグなの?と思いつつも、
話の流れがスムーズであれよあれよとその世界観に連れ込まれる。

ノスタルジーを感じさせながらも、一途なその想いに応援したくなる。

時空を超えたシーン、現実と虚構の混在、人の想いがその場面を作り出し、
それらを超越して素直にツッコむカメラマンの存在もなかなかいい。

内容に複雑さは感じられないけれど、鑑賞者に何かを想い出させてくれそうだ。
たまに発せられるセリフにもなかなか感慨深いモノがあったりして。

結局、「鍵」とは何だったのか?

いや、それはきっともはや問題ではない。

恋でもモノでも、それを手に入れたり達成するまでのコトが
人の人生をカタチ作っていることを思い出させてくれたような気がする。

きっと実写ではしらけてしまうんじゃないか?

そう思わせてくれるなかなか秀逸なアニメの一品でありました。

こういうアニメ、私は好きです。



P.S

監督の今敏は、2010年にすい臓がんで46歳で亡くなっている。

非常に残念である。

心からご冥福をお祈りいたします。






2024年6月5日水曜日

ジーンズの破れ

街を歩いていると、穴あきジーンズをはいている人をたまに見かける。
最近は、その穴の位置が太もも辺りで妙に大きくて、目のやりどころに困ったりもする。

けれどね、ジーンズ歴50年以上のこのジジイは、宣言させてもらう。
ジーンズをね、どんなに過酷にはいたってね、普通はそこはそんな風に破れないってばさ。(きっぱり)

というわけで、私の日常家の中ではいているジーンズを披露してしまう。
普通にはき続けると、まず破れるのはこの辺りです。

以上を、宣言させてもらいます。

もちろん世の穴あきジーンズがファッションだということはわかりますよ。

しかし、わざと穴をあけられたジーンズが不憫で、、、。

ちなみにこのジジイの場合、穴が開いてしまったのは左脚側だけだったのですが、
あまりにも穴が大きくなってしまったので、もう生地も薄くなってきたし、いつか避けてしまうだろうことを想定して
右脚側にも同じ位置に小さな穴をあけておいたら、両側ともバランスよく裂け始めました。

もうちょっと経ったら、切り落としてバミューダパンツにしようと計画中。

って、あんたも同じようなことやってるじゃん、と言われそうな、、、
いいえ、私は、ファッションとは関係なく、ジーンズをはき尽くしてるだけです。(きっぱり)

# ジジイのバミューダパンツ姿をキモいって言うなー。



P.S

ところが、先日、地下鉄の優先席で小説に没頭しているおじいちゃんのジーパンが、太ももの辺りが裂け始めていた。

どんなお仕事しているの?
どうしてそこが傷んだですか?

聞きたかった。

どれだけ声をかけようかと思ったけれど、小説に真剣に向き合っている姿に声をかけられなかった。

悔しい。

# あれもひょっとしてファッションかも、ってか? ぅ~。





2024年6月3日月曜日

インコの想い出

もう30年も前のこと。
私の子供たちも小学校低学年の頃のこと。

ちょっとインコの想い出を書く。

買い物から帰ってきたら近所の子供たちが騒いでいた。
なんだかわからなかったけれど、車を止めて降りようとしてドアを開けたら、足元に青いインコが。
どうも子供たちは、その青いインコを捕まえようと大騒ぎだったようである。

でも、子供たちは、なかなか捕まえられない。
やがて、見失って子供たちが諦めかけた時に、私はフトつぶやいてしまった。

「どこかで飼われていたインコなんだろうけど、
 突然自然界に出されてしまってもひとりで生きていけないだろうなぁ。」なんて。

それが火に油を注いだ結果となり、子供たちは必至で大捜査。
もう日が暮れて暗くなりかけた頃、とうとう確保したらしい。
で、どうしたかというと、その中の一番の年長の子が家で鳥を飼っているから、ということで持ち帰った。

ところが夜になって、その子がうちに現れた。

「うちの鳥とはどうにも相性が悪くって、家では飼えそうもない」とのことで。

それで我が家が引き受けることになり、
早速近くの大型スーパーに鳥かごを買いに行くハメに。

ところが2~3日経つと、どうも淋しそうで。
せっかくだからつがいにして飼うかと、やはりスーパーでメスを手に入れてきて2羽で飼うことに。

なんか殺風景だな。そう思って巣箱を設置。
ん~この際だから挑戦してみるっか、と粟玉あげちゃう?、、、と。

やがてしっかり卵を確認。

でもって、巣立つたびにまた産んでどんどん増えていき、一時は12羽にも。鳥かごは3箱に。
手乗りにも数羽挑戦してみましたが、やっぱり面倒で一回にとどまりました。

さてどうしよう、とも思いましたが、子供たちの友達が引き取ってくれまして。
やがて、また最初の親鳥2羽だけに戻りました。

もう卵を産ませるのもなぁ、と思って巣箱を取り出し、、、

そして、或る日、最初に駐車場で捕まえたオスが死んでいました。

やはりなんだかとても淋しかったですが
それまでのテンヤワンヤながらも、子供たちと大騒ぎの日々の想い出を作ってくれてとても感謝です。

ただ、その後のメスだけの姿が淋しそうで淋しそうで、不憫で仕方がなく、
最初に買ったスーパーに引き取ってもらえまして。

歳取ってるし、お産で疲れてそうだし、売り物にはできないけれど、
他の鳥たちの喧騒の中で気が紛れるんじゃないか、と。
勝手な飼い主と言われても言い訳できませんが。

帰りのスーパーの駐車場で、娘と二人抱き合ってワンワン泣いてしまったのも今となっては懐かしい想い出です。

だからもインコには、ただただ感謝です。



P.S

定年になって、また飼ってみるか?とフト思ったりもしますが、

毎朝の餌の交換や鳥かごの掃除、
寒い時期には、毎夜部屋の中に入れたり、、、

経験があるからこそ、ちょっと面倒かもな、とも。

ホンに知らないうちに名実ともに、、、私も歳を取りました。





2024年6月1日土曜日

勝手にしやがれ

も~、勝手にしやがれ!って感想を抱いてしまえば、この映画は成功なのだろうか。

街頭撮影感や周りの人々の役者を見つめる不自然感もあれば、
ヌーヴェルヴァーグ当時の象徴的な作品と言われれば、

ま、なんとなく理解できなくもないですが、現代において、この物語はなんともなぁ、、、。

日本公開当時は、映画館は18歳未満入場禁止なったほどだから、現代よりももっとハチャメチャ感を感じたんだろうな。

しかし、美男美女のなんとも不甲斐ないやり取りを延々と見せられつつも、このノリで最後まで行くのか?と思いきや
最後までまんまだった。

最後のひとセリフで「ほぉ」と感じたけれど、フランス映画ってヤツは、、、感は否めませんでした。

けど、飽きることもなく見続けられたのは、名作と言われる所以でしょうか。

煙たそうなシーンが多くてツラかった私は21世紀人間。



P.S

この歳になってくると、たまに無性に古い映画が見たくなることがある。
それも小さい頃、そう小中学生の頃に見た映画。

その中でもジャン=ポール・ベルモンドの印象が深く残っている。

半世紀以上前にテレビで見た映画は、白黒だったけれど、冒険モノがやっぱりよかった記憶が残っている。

次回また古い映画を見ようと思った時は、もうちょっと調べてから選ぼう、そう心に誓って。